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「日本列島鉄道縦断ツアー」と鉄子の父の記憶 ①

9/18ツアー出発日まで、残すところ10日となりました。

今回は、私、鉄子の父の記憶を辿りつつ、1988年の鉄道事情を振り返ってみたいと思います。


二日目のツアー行程は以下の通りです。

【二日目(小田急トラベルのウェブサイトより)】
集合:「天北の湯 ドーミーイン稚内」ホテルフロント付近 6:20集合

ホテル出発(稚内市内)
稚内(6:36発)++【サロベツ(指)】++ 旭川(10:19着/10:30発)++【ライラック(指)】++札幌(11:55着/14:38発)++【北斗16号(指)】++函館(18:25着/20:06発)++【はこだてライナー(自)】++ 新函館北斗(20:28着/20:43発)++【はやて98号(指)】++ 新青森(21:45着/21:55発)++【普通列車(自)】++青森(22:01着)
ホテル着(青森市内)

 

初日は稚内入りして翌日朝一の特急サロベツ旭川に向かいます。


前述した通り、私は30年程前、小学校6年生の冬休みに稚内宗谷岬を訪れたことがありました。なぜこの年に決行したか、みなさん分かりますか?


1988年青函トンネル開通直後で、当時世界最長のトンネルを一刻も早く通ってみたい!と言うのもありますが、やはり小学生は大人料金の半額で旅行できる!のが最大の理由でした。半年後、中学生になったら倍の料金が掛かるって事なんですから・・・


鉄子との旅行でも、そんな理由で急に旅に出るぞ!と決断した事が何度かあったのですよね。


さて、当時の鉄道事情を思い出すために時刻表復刻版を購入したので、こちらを参考にしていきます。

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JTBパブリッシング 1988年3月号時刻表復刻版より】

まずは宗谷本線の時刻表が30年でどのように変わったかを見てみます。

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JTBパブリッシング 1988年3月号時刻表復刻版より】

上を見ると、宗谷本線の優等列車は全て急行だったのですね。現在JRの定期急行列車は全廃されてしまい、全て特急に置き換えられています。

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交通新聞社 2020年9月号全国版コンパス時刻表より】

また、当時は急行利尻が稚内⇔札幌間を夜間結んでおり、B寝台車を連結していました。

札幌との間には、稚内(急行利尻)・釧路(急行まりも)・網走(急行大雪)の各地に向けて毎晩夜行列車が往復しており、函館には快速ミッドナイト(臨時列車)が走っていました。

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JTBパブリッシング 1988年3月号時刻表復刻版より】
私は9泊10日でJR北海道内が乗り放題となる『北海道ワイド周遊券』を持って旅をしたのですが、この間一度もホテルに泊まることはありませんでした。

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JTBパブリッシング 1988年3月号時刻表復刻版より】

これだけ多くの夜行列車が走っていたため、毎晩この4つのいずれかに乗って宿泊代を浮かしていたのです。

二段式B寝台料金が確か6000円、寝台料金は大人子供同額であるため、とても毎晩払える金額ではなかったのですよね。

(10回以上、立ち食いそばを食べられる金額です・・・)

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JTBパブリッシング 1988年3月号時刻表復刻版より】

この頃からB寝台車にも個室が設定されるようになり、4人用B寝台個室『カルテット』や2人用B寝台個室『デュエット』『ツイン』、1人用B寝台個室『ソロ』『シングル』は憧れの的でした。ですので、寝台車に乗る際は何が何でも個室を予約するようになりました。


そんなこんなで、鉄子の父がこの後二段式B寝台を体験するのは、30年程が経った北海道新幹線開通直前の『はまなす』乗車時なのでした・・・


ブログの写真にはまなすを使っているのは、こんな思い出があるからです。

この時の話は、また別の機会にお伝えしますね。

 

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